[B99]《限定20箱》【特選】デラウェア(2kg)
山形県のブドウ栽培は、現在の南陽市川樋(かわとい)地区にある大洞山(おおほらやま)にブドウの苗木が植えられたのが始まりと言われ、江戸時代の頃から栽培されていたようです。なぜ川樋地区でブドウ栽培が始まったのかについては、南陽市が編さんした「ぶどうの100年」に2つの説が記されています。
ひとつは、金の採掘人足として大洞山の鉱山にきていた甲州(今の山梨県)の人が南陽と甲州の土地に共通性があることに着目し、ブドウを植え始めたという説。
もうひとつは、川樋の地が出羽三山を往来する修験者の通り道だったために、修験に関係する人たちが持ち込んだ、という説です。明治期になると、当時の山形県令三島通庸(みしま・みちつね)らによって殖産興業が進められ、その一策として置賜地域でブドウが試験栽培されるようになります。こうしてブドウの栽培は、川樋地区から置賜地域の各地へと急速に広がっていくことになりました。
置賜は盆地のため、夏の昼と夜の気温の差が10度以上になることもあり、寒暖の差の大きい気候がおいしいブドウを育てます。また、排水が良く保水が良い大地です。成熟期の雨量が少ないので、実割れがなく高品質のブドウ栽培に最も適した土地です。
山の斜面で陽射しをたっぷりと浴びたブドウは、品質、味とも抜群です。置賜で栽培されるデラウェアは、長年にわたり品種改良が重ねられた結果、その味、質とも日本一を誇る逸品として知られています。 盆地特有の寒暖の差や気候など、恵まれた自然環境で育てられたデラウェアは味も格別で、弾力のある食感が特徴です。
まだ残雪がある3月下旬、ブドウ農家では着々とビニールハウスの準備作業を進めています。「ハウスかけ」と呼ばれる作業はたいへんなもので、ハウスに上ってビニールを引っ張り、そして広げます。置賜地方に広く見られるアーチ型のビニールハウスが完成します。
ビニールハウスがかけられ、30度前後の暖かい環境の中で、ブドウの木は栄養を蓄え、葉を広げて新しい枝を伸ばし、実をつける準備をします。5月頃になると、枝にブドウの房の形になった、花の咲く前のつぼみが見られるようになります。
「種なし」のデラウェアを作るには「ジベレリン処理」をしなければなりません。ジベレリンとは、ブドウの種をつくられなくするための植物ホルモンで、これに必要量の水を加えて溶液をつくります。このとき、溶液に赤い色素も一緒に混ぜます。なぜかというと、たくさんの房を処理していくときに、処理をしたものとそうでないものを見分けるためです。容器に入ったジベ溶液にブドウの房を一つひとつ浸していきます。一つの枝にはぶどうの房が4~5房くらいなるのですが、そのうち根元に近いところにある3房くらいにだけジベ処理をするそうです。これはぶどうの房の数を制限し、処理した房にだけ十分な栄養をゆきわたらせるようにするためです。
デラウェアのジベ処理作業は、ふつう2回行われます。1度目は種無しにし、2度目はブドウの粒を大きくする処理です。ブドウの品種によっては処理の回数が異なったり、溶液の濃度が違ったりします。処理を行うタイミングも重要で、花が咲く前の状態や枝につく葉の数などで見極めます。
その後は収穫まで、毎日の温度管理は徹底して行われます。昼夜の気温差がおいしいぶどうを作るからです。日中の温度が暑すぎては、うまく育たないので、適した環境を作り出すことが必要です。
7月下旬から9月下旬になると収穫の時期です。収穫も「かたっぱしからとる」ことはせずに、ブドウの甘み、酸味、色づきなどをチェックして収穫します。
出荷が終わると次のシーズンに向けて、余分な枝を切る「剪定」を行い、ビニール撤去の作業を行います。雪国では雪でハウスやブドウ棚が押しつぶされないように、雪下ろしをします。
JAでは地域ブランド力の向上を目指して、「デラウェア」の果汁を使用した新商品を次々に開発しています。
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おきたまは、デラウェア生産量日本一です。
寒暖の差の大きい気候、排水と保水の良い大地が美味しいぶどうを育てます。
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